講師の経歴

小学校〜高校

野球

小学1年〜高校3年まで野球一色の12年間でした。小学1年のときから少年野球チームに所属し土日祝日は野球ばかりしていました。中学、高校も野球部に所属し、野球漬けの毎日でした。野球が好きで一生懸命やっていました。

野球以外の学校生活

野球の時以外は友人らとの交流も少なく、ひっそりと学校生活を送っていました。クラスの中心になるような人と接触を持つことはほとんどなく、今の言葉でいうところのスクールカースト2軍でした。

アルバイト

小中高時代、野球以外で取り立ててやったことはないのですが、強いて挙げるとしたら高校時代のアルバイトです。高1の2月から高2の7月までの半年間、新聞配達のアルバイトをしていました。月に1度の休刊日以外は毎朝自転車に乗って1時間半ほどかけて新聞を配っていました。ちなみに給料は月4万円でした。半年で24万円です。そのお金は高3の夏休みに行った名古屋・伊勢への一人旅と、部活引退後にはじめた通信添削Z会の費用に使い、きれいになくなりました。

受験経験

私は受験指導を仕事としています。私自身の受験経験を記載します。

 

小学受験

 

していません。地元の公立小学校に通いました。

 

 

中学受験

 

していません。地元の公立中学校に通いました。

 

 

高校受験

 

県立高校と私立高校を受験しました。第一志望の地元の県立高校に進学しました。自宅から学校まで自転車で10分弱。野球に加えアルバイトができたのも学校が近かったおかげです。

 

 

大学受験

 

国立大学と私立大学を受験しました。第一志望の東京大学が不合格で第二志望の慶應義塾大学に進学しました。志望校を固めた高2の秋からは自分なりに必死でやっていたので、第一志望不合格は大きなショックでした。指導させていただく生徒には第一志望に合格していただけるよう全力でサポートしたい。

学生生活

読書を中心に自由な時間を満喫できた楽しい学生生活でした。運よく奨学金をいただき、1年間ドイツのミュンヘン大学に留学したことも貴重な思い出です。ドイツ語、英語の翻訳の仕事をはじめました。

社会人生活スタート〜現在

社会人生活スタート

実家に戻り家業である化学製品の卸売小売業に従事し、社会人生活をスタートしました。意気揚々と初日を迎えたのを覚えています。

鬱々とした毎日へ

意気揚々とスタートはしたものの、時間が経つにつれて、営業パーソンとして、また経営者として家業をやっていく適性のなさを痛感することになります。

 

適性どうこうではなくやるしかないと考え仕事に向き合いましたが、どこまでいってもこの仕事でずっとやっていけるのかという鬱屈した気持ちが消えることはありませんでした。

はじめての受験指導

社会人になってから、読む本の一部は筑波大学の図書館から借りていました。ある時、筑波大学までいっているのだから、本を借りるだけでなくそれ以外のこともしてこようと考えました。大学の先生のご厚意により、先生の部屋を訪れ1対1で勉強する機会を持たせていただきました。2年間ほどお世話になりました。

 

その大学の先生の1人から、その先生の知人のお子様の受験指導の打診を受け、はじめての受験指導に臨むことになりました。その生徒は筑波大学に合格。私は受験指導の喜びとやりがいに気づくことができました。

受験指導を仕事へ

その後もずっと受験指導に携わり受験生の未来をひらくお手伝いをしていきたいと思い、はじめての生徒の指導終了後直ちに各家庭教師派遣会社に登録し、そこから紹介いただいた生徒の指導を開始しました。(登録した各家庭教師派遣会社からは、CMでおなじみの最大手からも含め、後に「トッププロ」として認定されました。)

 

ホームページを作ってからは、知人、派遣会社からの紹介だけでなく、直接に指導の依頼をいただくようになりました。夕方まで家業、夕方から受験指導という生活を送りつつ、受験指導を本業とする意志を固めていきました。

受験指導を本格化〜現在

その後、生徒宅を訪問する家庭教師に加え、生徒に来ていただく個別指導塾での指導も開始し、受験指導を本格化。「プロ家庭教師・個別指導塾 すいよう塾」をスタートしました。名前は塾のスタートが水曜日だったことにちなみます。当初は筑西教室一つでしたが、続いて坂東教室を開きました。

 

ベストな指導ができるよう常に研鑽に努めつつ、生徒一人一人に真剣に向き合う毎日です。

回り道をしましたが、幸運にも適職(天職)と思える仕事にたどり着くことができました。