読書感想 : 『100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者の光と影』

今月(2020年4月)、京都大学の望月新一教授が数学の難問「ABC予想」を証明した。大きく報道されたので、ご存知の方も多いかと思う。ところで、ABC予想と並ぶ難問とされていながら、21世紀初頭に一足先に証明された数学の難問があった。「ポアンカレ予想」だ。本書はポアンカレ予想を扱う。ABC予想証明のニュースを受けて、思い立って本書を手に取ってみた。

ポアンカレ予想とは...

ポアンカレ予想。それは「単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相である」と記述される数学上の命題のことだ。ポアンカレ予想は、フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって1904年に提唱されて以来、幾多の数学者の挑戦をはねつけてきた世紀の難問だ。

 

その難問が2002-2003年にグレゴリー・ペレリマンによって証明された。

 

本書は、ポアンカレ予想をめぐる数学者たちのドラマを、天才数学者ペレリマンを軸として描き出していく。

 

 

(”ペレリマン”は、wikiをはじめ他所では”ペレルマン”と表記されることが多い。だが本書では”ペレリマン”と表記されているため、ここではそれに従う。)

ポアンカレ
ポアンカレ

ポアンカレ病

さて、ポアンカレ予想は多くの数学者たちを惹きつけてきたようだ。数学の各専門分野において特筆すべき業績を上げてきた数学者たちが、われこそはとポアンカレ予想の証明に挑み続けた。

 

彼らは、ポアンカレ予想に取り組む中、徐々にそれに憑かれたような生活へと入り込んでいく。「ポアンカレ病」にかかっていくのだ。ポアンカレ病にかかると、全生活をポアンカレ予想にささげるようになり、証明に進まない苛立ちや、解決したと思いきやそれが思い違いであったと気づくことによる落胆で、「一歩間違えれば正気を失いかねない厳しい日々」を送ることになっていく。

 

彼らにとっては心理を追求することがすべて。俗世的な幸福などなんの価値もないようだ。俗世的幸福を求めて四苦八苦している私のようなものからすると、彼らはまるで別世界の住人のように思えてくる。

ペレリマン

ポアンカレ予想を解決したペレリマンに至っては、俗世的幸福をかえりみない程度が途方もないことになっている。

 

同じ数学者からも「ペレリマンは、間違えない」と言われるほどの天才数学者ペレリマン。彼は世間との関わりを徹底的に拒絶する。そのため、著者は本書を書くに当たって本書に登場する数学者たちを取材しているが、肝腎要のペレリマンその人の取材はしていない。ペレリマンは取材に応じてくれなかったのだ。

 

ペレリマンは「世界の第一線の数学者たちが集い、しかも高収入が保証されるアメリカの研究生活」にも背を向け、研究に打ち込める環境を求めて故郷の小さな研究所で研究生活を送る。数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞をはじめ、賞一般を辞退する。

 

ペレリマンは人との交流やお金や名誉には目もくれず、ひたすら数学的難問に挑み真理を追求し続けるのだ。世紀の難問を解くためにはここまでストイックにならなければならないのか。俗世的幸福の拒絶が真理獲得の代償のように思えてならない。

ペレリマン
ペレリマン(photo provided by Bergman,George M.)

ペレリマンはどのようにポアンカレ予想を証明したのか。

ポアンカレ予想は、ポアンカレによって位相幾何学つまりトポロジーという数学の分野に分類されていた。それもあって、ペレリマン以前の数学者はポアンカレ予想にトポロジー的アプローチで臨んでいたようだ。そして、既に述べたように、彼らは証明まで辿り着けずに終わってしまった。

 

ペレリマンはそうはしなかった。ペレリマンは、ポアンカレ予想という「トポロジー(位相幾何学)を象徴する難問」を、「微分幾何学のアイデア(リッチフロー)で切り崩」し、「さらに物理学に由来するアイデアを導入すること」で解決する。つまり、微分幾何学と物理学のアイデアを用いたアプローチをとることでペレリマンは成功を収めた。

 

では、どうしてペレリマンは従来になりアプローチをとることを思いついたのか。その”天啓”のようなものが、ペレリマンをポアンカレ予想に結びつけ、ペレリマンをポアンカレ予想の解決へと導いたいカギになるものだと思う。そのカギについて本書は触れてずじまいだ。ペレリマン本人の取材ができなかった以上、それを求めるのが無い物ねだりなのは重々承知だが、読んでいてその点がどうしても気になってしまった。

なお、本書は数学を題材としているが、本書を読み進めるのに数学の知識は不要だ。本書の肝は数学ではなく数学者だ。本書は手軽に、真理獲得に全てをかける数学者たちの狂気に触れさせてくれる。

 

願わくばABC予想についても、それを巡る数学者たちのドラマを描いた本書のような本がいつの日か出版されることを期待したい。